いそあつ岡田の車遍歴

いそあつ岡田の車好き遍歴についてのブログです。

就職そしてロータリーエンジン車に関心

大学4年時の夏期実習は埼玉にある某自動車部品メーカーで午前8時から午後5時までで、休日は日曜日のみだった。毎日旋盤で同じ部品の加工を行う単純作業で夢中で働いた記憶がある。やはり大手車メーカーに行きたかったが行けず、結局西独ライツ社の日本代理店に就職した。ライツと云えば、ツァイスと並んで世界的な精密光学機械メーカーでサービスエンジニアになるつもりだった。しかし、

現実は厳しく営業部に配属され、以来光学機器の販売に携る人生を送ることになる。

最初は、同期入社のY君と共に精密光学測定器、金属顕微鏡などのセールスで大手機械メーカーや、製鉄会社などを回った。

勤め始めてから5年後 頃(昭和47年頃)には、マツダロータリーエンジン車が出て関心が高まった。親しい同期がマツダに就職していたことから、身近に感じこの画期的なエンジンの開発について書かれた本を読んだ。元々 ドイツのフェリックス・バンケルが開発したエンジンでバンケルエンジンと云われていた。メーカーのNSUからライセンスを受け苦難の末に実用化したのがマツダです。1972年9月には、RX3 サバンナGTが発売され、そのコストパフォーマンス」の高さから、購入意欲が一気に増した・

 

 

 

 

卒研のテーマ エンジンの出力修正

大学での卒業研究の講座は熱力学で、テーマは、大気の状況に応じた出力修正のための計算式を実験的に割り出そうという試みだった。実験に使用したのは、プリンスのGA4型水冷直列4気筒OHVエンジンだった。

実験設備は立派なもので、今から考えると実に恵まれていたなと当時の先生方に感謝するばかりである。

憧れ第1号はスカイラインGTB

スカイラインは、1964年 第二回日本グランプリで優勝はポルシェに譲ったものの2位以下の上位独占という快挙で一気に名声を馳せました。このレース仕様を基に 1965年市販化したのがスカイラインGTBで、入手したい憧れの車第1号となったわけです。

 このGTBは、もともとのスカイライン1500(直4)のエンジンフードを20cm延長しプリンスグロリアの直列6気筒2リッターを押し込んだもので、デザイン的にもコンパクトでいて鼻が長いカッコいいスタイルを実現していた。そのエンジンは、ダブルチョークサイドドラフトのウェーバーキャブを3基装備し125馬力を絞り出していた。この3基のキャブが整然と組み込まれたエンジンルームは写真でしか見たことがなかったが、真に精密機械そのもので美しく一度は乗ってみたい、将来必ず入手したいと思ったものである。

この車、今だったら一体いくらで入手できるのかとフト思ってwebで調べたら・・・。

在りました! 1966年型で ナッ何と 648万円 ウーン 凄い

やっぱりスカG かっての名車の人気は想像通り高い!

キャブレター(気化器)専門メーカーで実習

大学3年の夏、小田原にある気化器のメーカーで工場実習。

酷暑のエンジン実験室でのデータ取りはきつく思わずランニング一枚になって

実験主任の方に注意されたことがあった。しかし過酷な条件でのテストは必要で、別の実習生は逆に零下15度とか或はそれ以下の低温室内での実験だった。

この実験の最中、ラジエータの後ろに強力なブロワーを据付て回した時の涼しさは格別で、ラジエータの威力をまざまざと実感することができた。

気化器(キャブレータ)については、この頃全盛でソレックス型が最も普及していたのではないかと思う。ただ高性能車は、ウェーバーのダブルチョーク式のキャブを装備する傾向があった。こういった高性能キャブは調整が難しく理想的なセットアップには熟練が必要であったようだ。キャブはそういう意味でも精密機械部品といえるものだった。

 

 

いそあつ岡田の初めて車 ルノー4CV(中古車)

小学生の頃はテレビもない時代で車を持つ事は全く非現実的で、どこか遠い国の世界といった感じだった。従って興味の対象はもっぱら蒸気機関車電気機関車鉄道模型など鉄道でした。親父の仕事の関係で東京に引っ越し、大学受験の頃になると急速な経済発展に伴い車社会の兆しがはっきりと表れてた。J大理工学部の機械工学科に入って、クラブ活動は自動車部と密かに決めていたが、結局新しく設立された自動車工学研究会に入ってクラブ活動を始めた。この時は、運転(ドライブ)よりメカに関心が高かったから。

この会は、トヨタ自動車から中古のクラウンが寄贈されその後更に、日産から東京オリンピックで使用したブルーバードを無償で払い下げてもらい活動を拡げてきました。中古の軽トラをスポーツカーに改造すべく分解し、エンジンのシリンダーヘッドを削り圧縮比を上げたりした。仮ナンバーを取得したその車で信州に夏季合宿にでかけたり、或は、文化祭でホバークラフトを作成してデモしたり、結構有意義な活動が出来たと思っている。

さてこの学生時代に一時中古のルノー4CVを入手し乗り回していた時がありました。(1965-6年頃)

この車は、当時日野自動車ライセンス生産していたルノー4CVで、よくタクシーに使われていた。バイトなどでの貯金+親からの借金で購入した車は 5万円(当時の大卒初任給は多分25,000円位)だったと記憶している。運転席の足元フロアに穴が空いており真下の路面がシッカリ見える位で今時の中古車からは考えられない程ひどいポンコツだったが、故障もなく結構走った。開通したばかりの環七通り(練馬区桜台付近)は、その頃まだガラ空きで、何回も走ったものだった。

諸元はwebで調べたところ

 日野ルノー4CV 
全長3845 ㎜・全幅1435㎜・全高1440㎜・ホイールベース2100㎜・車重640㎏

エンジン駆動方式:最高出力21ps/4000rpm・最大トルク5.0kgm/1800rpm・後置・後輪駆動(RR)

水冷直列4気筒OHV748cc・変速機3速MT・乗車定員4名・燃費16km/L・最高速100km/h・販売価格67万円

http://ameblo.jp/porsche356a911s/entry-11570882783.html から引用)

1年足らず乗って友人に譲った。

 

 

いそあつ岡田の車の夢遍歴

初めまして、先ず自己紹介をさせていただきます。

私は、いそあつ岡田こと 岡田 篤と申します。

幼い頃から、乗り物が好きで4歳の時、家の引越しで焼津から静岡までボンネットのあるトラックに乗せてもらったことが今でも忘れられない。小学校低学年時は悪ガキ友達とよく蒸気機関車電気機関車を見に行ったものでした。

自動車への憧れは、そんな頃車の絵本を見た時からふくらみました。その本には、アメリカの車、フォード、キャデラック、クライスラーなどが載っていて、アメリカにはこんなカッコいい車があるんだと何度も繰り返し見たものでした。当時はまだボンネットのあるバスが走っていた頃ですから、そんな外車など見たこともなく、身近な車といえばバスだけでした。ただ、母の実家の農家の小型トラックの荷台に乗せて貰った時はそれは感動ものでした。エンジンをかける時は、クランク棒を手掛けで回してかけていたことを思い出します。

その時、「何故あの曲った道具を突っ込んで回すとエンジンがかかるのだろう」なんて好奇心が湧けば一端のエンジニアになって大成したろうに、残念ながら未だに何事も達成出来ずに老境に入らんとしておる次第です。

しかし年甲斐もなく未だに好きな車をいつかは所有したいと夢を持ち続けておるわけであります。

 その対象となる車は時代によって変わってきておりますが、その変遷を本ブログで追って行きたいと思います。そして現在持っている夢を早く達成するように励んで行く所存です。